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ワーホリの仕事、野球、少し旅。〜オーストラリア12

ワーキングホリデーで仕事を探すのは大変なことだ。

 

都会では英語が高いレベルでないとなかなか競争に勝てないし、

 

英語ができなくても雇ってくれるところは法外な低賃金で働かせるところも多かった。(2010年当時)

 

 

 

当時の最低賃金は時給13~14ドルだったと思う。

 

なので法律に則っていれば日本よりも高い時給で働くことができた。

 

 

 

そして農園の時給は20ドル!

 

オーストラリアドルなので2000円まではいかないがかなり好条件だった。

 

 

IMG 0802

 

仕事は大体7:00から15:00ごろまで。

 

基本的に週休2日だが、涼しくて収穫できるバナナが少ない時は金土日と休みになることもあった。

 

時給が良いだけあり、仕事は大変だった。

 

IMG 0764

 

 

ある時期は収穫がひと段落したので防風林を作るために一日中地面に穴を掘り続けた週もあった。

 

 

その仕事は韓国人が「兵役よりキツイ」と言っていた。

 

 

農園にはさまざまな国籍の人がいてそれぞれの国の話を聞くことできた。

 

隣の韓国では兵役があるということを知ったのもこの時だし、

 

パプアニューギニアから家族で移住した16歳、

給料を家族に送っているインド人など

語学学校にいた生徒よりもさまざまな事情を抱えた人も多かった。

 

 

日本では簡単には感じることのできない

生まれた国や境遇のことを考えさせられた。

 

 

 

 


 

 

半年ほど働き、セカンドビザの資格も得たところで

 

私はメルボルンに引っ越した。

 

 

タウンズビルで4ヶ月間やってきた野球をもう一度やってみたいと思ったからだ。

 

 

メルボルンに着いて3日ほどでシェアハウスを見つけ

 

Footscrayという地域に住んでBulldogsというチームに所属した。

 

そこはタウンズビルと全くレベルの違う野球があった。

ショートとして試合に出ることはできたものの全く打つことができなかった。

 

CIMG0841

 

さらにクリスマス、年末年始と重なる時期に行ってしまったこともあり

試合自体がしばらくなくなってしまった。

 

 

 

 

 


 

結果として私はメルボルンを1ヶ月で離れ、

シドニーに語学学校時代の友達のところに遊びに行った。

 

そこで物価の高さに驚愕し3日で今度はブリスベン行きのバスに乗り

20時間以上バスに揺られブリスベンへたどり着いた。

 

 

ブリスベンで何をしたかははっきり覚えていないが数日後にはケアンズ行きの飛行機に乗っていた。

 

 

 

 

 

 

 

そしてタリーに戻ってきた。

 

 

 

大学を休学してオーストラリアに来た1年間の最後の2ヶ月をまた農園で過ごす。

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